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平泉で「義経」の足跡を辿る時、「高館義経堂」と「柳之御所」遺跡は欠かせません(⌒∇⌒)

平泉駅から徒歩10分ほどの「柳之御所」遺跡。今は綺麗に整備されて芝生の遺跡が広がっています。
また「柳之御所」から徒歩10分ほどの小高い「高館」は、源義経終焉の地と伝えられています。
「高館義経堂」の綺麗な御朱印もご紹介します✨
「柳之御所」遺跡

平泉駅から徒歩10分ほどで、「柳之御所」遺跡に到着します♪


標識の通りに行けば迷わない( ´艸`)

柳之御所遺跡とは
柳之御所は、平安時代に奥州藤原氏が政治を行ったとされる「平泉舘(ひらいずみたち)」であったと推定されています。
現在はこの広大な遺跡跡が綺麗に整備され、史跡として保護されています。

中でも、20m×18mの最大の建物の跡がこちら❣


ここから住宅街を歩いて7分ほどで、高館に到着します。高館は小高い山の上にあります。
ここは「判官舘」とも呼ばれているそうです。
高館義経堂(たかだちぎけいどう)


階段が多く急なので気を付けて!

看板によると「1189年、藤原泰衡に襲われた義経はここに妻子を道連れにして自刃した」とあります。
当時は、高館はもう少し広かったのではないかと考えられています。

さらに階段を上ると、視界が一気に開けます🙌
高館からの展望

眼下の北上川や開けた地形、各地のお城と似て、状況を把握しやすい土地であるとわかりますね。
ここまで登ってきたら、椅子があるので休憩することができます(⌒∇⌒)

松尾芭蕉句碑、義経堂と分かれるので、まずは義経堂の方へ行ってみましょう。

資料館

高館義経堂に向かう途中に、資料館があります。
これは、1683年に当時の仙台藩主伊達綱村公が建立した義経堂落慶の際、上梁に納められた棟札の写しだそうです。
頼三樹三郎詩碑

頼三樹三郎は、幕末の尊王攘夷派で儒学者。安政の大獄にて捕らえられ35歳で亡くなったそうです。
頼三樹三郎は同じ尊王攘夷派の岡本黄石とも交流があった。
世田谷区立郷土資料館「資料館だより69号」
岡本黄石は彦根藩家老であったが井伊直弼と疎遠になり、桜田門外の変ののち藩を尊王攘夷に導き、また戊辰戦争でも活躍した。
(一部抜粋しました)
この頼三樹三郎の句碑は22歳のころの雄渾な筆使いを残す形見でもある、と看板に記されています。
詩文に長けた頼三樹三郎の詩と運命が、この地の運命の物寂しさと重なって感じられます。

細い階段を上ると、「義経堂」が見えてきます。

義経堂(ぎけいどう)

義経堂の本尊は、伊達綱村公の命により作られた、甲冑姿の義経公です。

松尾芭蕉句碑

松尾芭蕉がこの高館で詠んだとされる句
「夏草や 兵どもが 夢の跡」
は、奥州藤原氏や義経公、弁慶の最期を思って詠んだ句と言われています。
義経堂御朱印

高館義経堂には綺麗な書きおきの御朱印がありました(⌒∇⌒)


高館義経堂を降りて、今度は中尊寺に向かいます。
こちらから徒歩で15分程度みれば、十分到着できます!
途中、線路際に「卯の花清水」があります。休憩しつつ向かいましょう。

Youtubeショート動画
https://youtube.com/shorts/wfvcz2YEQdc

高館義経堂のショート動画を作りました。是非動画でもご覧ください♪

②に続きます。いよいよ中尊寺!